「宝くじは買わない方がいい」
そう思っている。
いや、むしろ“確信している”。
当たる確率を考えれば、あれはほぼ納税だ。
夢という名の税金。
60代になってからは特にそう思うようになった。
限りあるお金と時間は、もっと確実に価値のあるものに使うべきだと。
――それなのに。
なぜか私は、また同じ場所に立っていた。
すべては「宝くじ売り場のところね!」から始まった
お世話になっている方との飲みの約束。
ありがたいお誘いに二つ返事で快諾。
奥さんに送迎をお願いすると、
「いわきワシントンホテルでしょ?宝くじ売り場のところね!」と一言。
この“何気ない一言”が、すべての引き金だった。
車を降りたあとも、頭の中でリフレインする。
宝くじ売り場…
宝くじ…
宝くじ…
気づけば、足が向いていた。
2年前とまったく同じ展開
そういえば、ここで同じことがあった。
2年前。
同じ流れで、同じようにふらっと立ち寄り、
サマージャンボを10枚、3000円。
そしてもちろん――
何も起きなかった😢300円に変換された。
なのに、また来ている。
人間とは、なんとも都合のいい生き物だ。
パワースポットという“言い訳”
売り場の前には、
石城国大黒明神 がある。

当選祈願のパワースポットとして知られている場所だ。
お賽銭20円
すると不思議なことに、心の中で声がする。
「買ってみなさい!」
…いや、絶対にそんなわけはない。
だがこの“都合のいい思い込み”こそが、
宝くじという文化の本質なのかもしれない。
納税か、夢か
売り場を覗くと、ずらりと並ぶ宝くじ。
冷静に見れば、どれも“納税書”。
しかし、その中でひときわ目を引いたのが――
しかも、描かれているのは
モンキー・D・ルフィ。
今まさに盛り上がっている“エルバフ編”。
…これはズルい。
気づいたら2000円💦
1枚200円。
「10枚くらいならいいか」
その瞬間、すでに負けている。
またしても、夢に課金した。
今回は“結果”よりも価値がある??
ただ、今回は少し違う。
すぐに削らない。
飲みの席で自慢もしない。
翌日、家族と一緒に削る。
当たるかどうかじゃない。
その時間を楽しむための2000円。
そう考えれば、悪くない投資だという言い訳💦
60代の宝くじとの向き合い方
宝くじは、確率だけ見ればおすすめしない。
それでも――
・誰かとの会話のきっかけになる
・ちょっとしたワクワクをくれる?
・家族と楽しむ時間を作れる
そういう価値があるなら、
“完全な無駄”とも言い切れない。
まとめ:人は理屈では動かない
宝くじは買わない。
そう決めていても――
「宝くじ売り場のところね!」
たった一言で、すべて崩れる。
人は理屈ではなく、
タイミングと空気で動く生き物だ。
明日、ルフィは何を見せてくれるのか。
夢か、現実か。
その結果は――また後日。